 2224 グレン・グールド vs それ以外のピアニスト
 ここのところ、Youtubeでグールドばかり見ている。音楽に映像はいらないと考えていた時期もあったが、音楽表現って音だけで成り立っている訳ではないと考えを変えた。グールドは30代でコンサート形式の活動をしなくなったが、TV番組などの映像が多量に残されている。1958年のCBSスタジオでの録音風景、翌年の自宅インタビュー、そして1981年のゴールドベルグの録音現場などはとくに興味深い。感じたことを箇条書きで記すと・・・
・特異な演奏姿勢(椅子を極端に下げて前屈みで弾く)は棟方志功の作業を彷彿とさせるが、「音」の発生現場の至近に自身を置きたかったのか? この姿勢は最大音量に制約があると本人は語っていて、コンサートから遠ざかった理由のひとつかも知れない。
・その低い姿勢から繰り広げられる演奏は、鍵盤に指が吸い付いているかのよう。押し弾くというタッチで、それでいて離すときの素早さは尋常ではない。正確で速いパッセージの秘訣なのか。
・演奏時、空いている手、腕の動きは"舞踏"のようだ。あたかも音楽の精霊を招き入れるかのように。
・紡ぎだす音楽は機敏でありながらしなやかで色彩感があり、自発的ビートが根底にある。これは81年のゴールドベルグのアナログテープからのCDで感じてはいたが、映像があると如実に理解できる。オーディオ的クオリティを超越する何かがある。サウンドだけのオーディオではモノトーンに感じることが多い。
・いかなる演奏でもピアノの前に楽譜を置いていない。自宅の練習風景でも楽譜は近くに積み上げられているだけ。譜面は設計図でしかなく、演奏行為はその先にあるということか?理屈っぽくいえば、譜面の総体が音楽動機であってトレースする材料にしてはいけないということか。
・・・という次第から考えついたのが、表題(笑) もう一度CDを聴き直そうと思った。 |