1458 官僚独裁国家であるという認識
 7月13日金曜日18時34分、 出口規制をしている国会議事堂前を避け霞が関で下車した。A13出口で地上へ上がると、警察のアナウンスが喧しい。
「国会議事堂周辺は多くの人で溢れていて非常に危険なので、 霞が関交差点を渡ったら右折してください。」と。
議事堂や官邸近辺には近づかずに遠くへ行けということか。群衆が過大に集まるのを認めないということだ。交差点を右折せずに直進したら、すかさず警官がやって来て「こちらへは行かれませんよ。」「いえ、待ち合わせしているんで・・・」理由になりそうもない言い訳だったが道をあけてくれた。 国会正門のある向かって左側の歩道は完全に封鎖されていて、路肩は警察車両が占拠している。デモの中心は右側歩道の先っぽのようで、30メートルほど歩いた地点の参加者の人垣で行き止まりになった。意外と人数が少ないと思ったが、人が来ないように規制しているのだから当然か。
金曜日の官邸前デモは先々週あたりからマスコミが報道するようになったので、倍々規模で参加者が増大することを願いながら、その場に身を置いて考えてみたいと思っていた。
それは「原発廃止を目指すにあたって、なにが有効なのか?」ということに尽きる。そもそも、国会や官邸にアピールする意味・必然があるのかどうか? いま通り過ぎてきた、財務省や外務省、経産省こそ、ターゲットではないのか。
日本は三権分立であると、これは小学生でも習うことだが、どうもそうではないらしいということも、みんな知っている。政治家が官僚に牛耳られているのは55年体制が始まって以来だろうし、民主党が政権を奪ってからはそれがいっそう顕著になり、野田首相に至って官僚独裁が完成してしまった。 最後の望みの「司法」は・・・行政のいちサービス機関に貶められているのではないか。原発事故に際しての政府や行政の不手際に、憲法の序文や第三章、十章に基づくなんらかのコメントがなかったことが、その証明だ。
という次第から、雑感としてランダムに記してみると・・・ ・ターゲットは政治家ではなく官僚である ・無能な司法と正しい報道ができないマスコミの罪を問うべき ・現状の無抵抗デモは双方ガス抜きの意味が大きい ・火焔瓶は70年安保の挫折につながるが、せめて警察のバリケードを突破する気概は必要
敵は狡猾で小賢しく、容易に倒せる相手ではないが、彼らに日本の命運を握らせるわけにはいかない。
・・・クーデター、時の政権潰せても、官僚組織は残りそう・・・(^_-)-☆
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