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2019/06/17

2139 Ortofon SPU Classic GE MkII

いちばんオーソドックスなSPUである。骨格のしっかりしたごく普通の音である。1970年代以降の優秀録音ディスクでは、さらに上の世界があることは承知しているが、愛聴盤のテリトリーではこれがBESTだと思う。



2019/06/04

2138

何年も続けている大阪サウンドコレクションの告知デザイン。同じスタイルで継続するという主催者の希望だったが、今回からタイトルを日本語メインで表示するようにという指示。こりゃ悪戦苦闘と言いたいところが、あっさり出来てしまった。これは本日発売のステレオサウンド誌の広告ページ。バリエーションデザインをポスターとチラシにも使うが、いちばん時間の掛かる作業は、チラシ裏面の試聴会のタイムテーブルだ。文字だけで見やすく提示する。グラフィックデザインの醍醐味なのだが反応は、たぶんない(笑)



2019/05/27

2137

市販のミュージックテープである。40年まえ千歳空港でレンタカーを借りて道東へ向かう途中、帯広のレコードショップで買った。吉田日出子のヴォーカルのバックは自由劇場の俳優たちだが、時代背景にマッチしたセピア色の哀愁に痺れた。トランペットは笹野高史だと思う。吉田日出子はそのもっと以前、大島渚の「日本春歌考」のなかで高校生役の彼女が唄う春歌がとても衝撃だった。



2019/05/20

2136 アナログ雑感。オーディオ評論というジャンルがあるとすれば・・・

870万円のフォノイコライザーであるとか、4000万円を越えるアナログプレイヤーであるとか、常識を越える製品が現れている。オーディオ機器から”工業製品”という括りを外せば、たとえ何億円であろうと作ることも語ることも自由であるし、その崇高な精神と開発力に最大限の敬意を表する。一方でこれらへのアンチテーゼとしての理論武装が求められていると思う。音楽表現、音楽体験という観点からミニマムの器を提示し、それを実現する機器を評価するというスタンスが重要だ。それなくして巨大化、高額化する機器類を褒め称える風潮が蔓延すれば、それはこの世界の終焉を早めるのではないだろうか。

写真は下のお庭の撮影許可を得て、Nikon D-800Eで気合いをいれて撮った。何世代も前のモデルとはいえスマホとは雲泥の表現力。



2019/05/20

2135

  



2019/05/16

2134

ここのところ1970年代回帰がテーマになっていて、オープンリールテープへのこだわりもその一環かもしれないと思っていたところ、タイムリーと言うべきか興味深い取材を受けた。

70年代のアートシーンをテクノロジーの変遷を踏まえながら、サブカルチャー的視点で当時の若い世代の動向を辿るというテーマで研究を続けておられる方からの依頼。その具体的検証材料として取り上げたのが、なんと、、、「オーディオユニオン録音コンテスト」なのだ。これはいち販売店の40年以上昔のイベントであり、今では歴史に埋もれてネット上の情報もほとんどないが、オーディオあるいは録音が若者のトレンドだった時代の”遺構”として再検証する意味は大きいと思う。

このコンテストは10年間続き、入賞者の作品を収めたLPレコードが毎回作られたり、テープメーカーの広告に駆り出されたりしたのだが、わたしは学生時代後半から、夢をあきらめて生業に着くまでの3年間関わっていた。

130分にわたるインタビューで、コンテストへの参加動機から始まり、それ以前のアート的背景から現在に至るまでの軌跡を語った(笑) 図らずも70年代の個人的総括が出来たように思う。

写真はご近所のフラワー庭園。先日庭園内を見せていただく機会がありたいそう感動したので、あらためて撮影依頼に伺ったところ、あいにくご本人不在とのこと。個人宅だが”超”が3つ付くほど素晴らしい。



2019/05/14

2133 Scotch 203の質感。

オーディオを介して音楽を楽しむことは極めて個人的な体験なので、その音響だけを取り出しても意味がないと思っている。この日曜日は古いテープを引っ張りだして、こんなものを聴いていた。義太夫「本朝廿四孝〜十種香の段」。この時代はきら星の名人達が活躍していたが、演奏している竹本南部太夫+野沢松之輔は、越路太夫+喜左衛門、津太夫+寛治と並ぶ名人で、その気品と色香は越える存在がなかった。1973年NHK-FMのエアーチェックだが、当方所有のテープのなかでも白眉の一巻。コンディションも上々でScotch 203の本物を彷彿とさせるマットな質感。



2019/05/09

2132 着物美人とタマゴパック。

微細な音の変化を聴き分けることにオーディオ的意味があるとしたら、
そこからは距離を置きたいと思っている。
音楽が生きているか死んでいるか、判断はそれだけだ。
微細な音の変化がそれらに貢献するという主張はもっともだが、
機械同士を較べていると、音楽ではなく音が聞こえるだけ。もったいない。