幻聴日記からの9章

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Sense of Audio 01, 02, 03 ◆My Favorite Cinema 01 ◆Cosmic on Bach 01 ◆MILANO1979 01 ◆三味線音楽 01
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Photo & Text: m a c h i n i s t


Sense of Audio 02
159 マルチウエイの到達点か?

インターナショナルオーディオショーで、驚くべきプロダクツを聴いた。FM ACOUSTICのInspiration Systemというアンプ、スピーカーをインテグレートさせたマルチアンプシステムである。スピーカーは5ウエイで構成されボトムエンドに1台、ローミッド以上の4帯域はパッシブネットワークを介して1台の専用アンプで駆動される。試聴会場ではXS-IIという31センチウーファーのモデルをFM711を2台用いてドライブしていた。サランネットから微かに透けるユニット配置はアヴァロンなどと似た構成のようだが背面にもユニットが付いている。以前にも書いたけれどマルチウエイは難しい。帯域を広げる弊害が必ず見え隠れする。音量レベルで不連続感が出るのは必然にちかい。ところがこのスピーカー、音圧がどのように変化しようと、なんのストレスもない。極めて精緻な表現をしながら、音とその背後の演奏者の在りかを十二分に示している。スピーカーの存在はほとんど感知できなかった。
機械の音を較べる無意味さをいつも感じているが、この音は目標にしてもいいと素直に思った。欲をいうと、もう少し体温が高くて、産毛と汚れを感じさせてくれれば、もうオーディオ趣味は終わりにしていいと断言できる(笑)。


175 すべての音々はあらかじめ「電源」の中に備わっている

わが家には高価なケーブルはいっさい無いけれど、でもケーブル関係にはうるさいのだ。常用パワーアンプのQUAD303の付属電源ケーブルが細くてしょぼいのは時代背景からみて仕方ないし、何回かトライした結果は思わしくなかった。グッド・リプロダクションの均衡は容易な改造を受け入れてくれない。バランスを考えない物量投入は逆効果だった。ただシステムのポテンシャルが上がってくると、ここのネックが気になりだす。アンプ側のコネクトが特殊なので改造は難航していたが、オヤイデのめがねインレットの先端だけ使って、これを本体の入力ピンに差し込むという手法を思いついた。ケーブルはベルデンのシールドタイプ。プラグはマリンコのメッキ無しタイプ。 キャラクタを出来る限り排す方向だ。つい昨晩、音的にもようやくキマったと思える段階になった。Eva Cassidyの「Live At Blues Alley」2曲目のブルース。楽器にあたる照明の反射や、彼女がスポットのなかで佇んでいる様子が伝わってくるような気がした。たぶん暗騒音がよりピュアーになったのだと推測している。だんだん普通のハイファイに近づいていると言えなくもないが(笑)。

オーディオ機器に一般的に用いられる電源は1回路20アンペアの不平衡100Vであって、ここに巨大トランスを装備した強力パワーアンプをつなぐと、アンプからみた「電源」は極めて貧弱な状態に陥る。そこにプリアンプやフォノイコライザーなどの微弱信号を扱う機器が並列につながれて、いい音が出るとしたら奇跡だろう。故長岡鉄男氏はダイナミックレンジを求めるなら、小パワーアンプを使うべしと述べていたけれど稀にみる見識じゃないか。音声信号はあくまで「信号」であって音楽や音声の実体ではない。信号をトレースして拡大投影するのがアンプの仕事だ。この拡大相似形の成り立ちは100%電源であるから、すべての音々はあらかじめ「電源」の中に備わっているという見方が大事ではないだろうか。・・・きょうは演説になってしまった。陳謝々々。


192 濃密な自然ということか・・・

・・・「スピリチュアルな部分=自然もしくは無のような気がします。」「 優れた芸術作品はどこか人為から出でて人為を超えたものが感じられます。」・・・
これは、ある敬愛するオーディオファイルの意見であるが、ぼくはそこまで達観できない青二才だ。人間が自然や神のような絶対的存在に挑んだり、諦めたり、あがいている「さま」に興味がある。音楽もそういう視点で聴いているような気がする。アーチー・シェップは最初の一音で彼でしか為しえない音の世界をつくる。彼がなにを考えながらプレイしようと、滲み出る個性。これが再現できれば、ラジカセでもいいと思っているんだが。今日は話が全然まとまってないね。失礼。


220 パルス

長唄をはじめとして、たいていの三味線音楽は、笛を除けばすべてパルス性の発音体をもつ楽器で構成されている。とくに大鼓(おおかわ)のパルスは極限の軽さが空前絶後に立ち上がる。こんなサウンドを再生することは不可能なように思える。唯一ちかいのは8インチ程度のフルレンジスピーカー+真空管OTLアンプだろうか・・・。


222 モノーラル

もう1年も前に聴いた、センターチャンネル付きSACDマルチの放射する音楽の実体感が忘れられないでいる。これこそモノーラル再生の正統発展系であると確信した。このセンターチャンネルをより強化し、周辺にアンビエンスあるいは差成分を形成する4本のサテライトスピーカーを配置。夢のというよりぜひ実現させたいシステムだ。願わくばシルバー仕上げのかたつむりノーチラス1本とエラックのCL330JET4本、カッコいいでしょ(笑)。モノーラルや2チャンネル音源をメイン1+サブ4に変換するDSPは必須だ。SACDマルチはたぶん聴かないが、この装置で聴く笠置シズ子の「めんどりのブルース」は相当にいいはずだ。

2CHステレオが登場したのは1958年くらいか。70年代の4CHは未熟だったけれど、30年後のいま、AV用途の5.1CHやSACDマルチなどは市民権を得たように思う。それらの目的はリアルな「場」の再現であるが、ヴァーチャルな体験というものは受容限度に限りがないから、より本物に近づくための(あるいは超リアルのための)技術革新というかフォーマット変更は今後とも続いていくと思う。
AVに関していえばスクリーンは平面なんだから、サウンドだけがパースペクティブを表現するのは不自然って、これはわたしだけか? ピュアオーディオの多元伝送系は、音楽の具象性と抽象性のとらえ方で意見が分かれると思うけれど、仮に「場」の再現を重視するなら、空間の水平断面にだけ配列するフォーマットには大いに疑問があるし、ソースに含まれるアンビエンス成分と再生空間のルームアコースティックの整合性も未だ解決していない。

多元伝送系は「場」のサンプリングと言えなくもないから、人間のヴァーチャル感性は48CHくらいまでは対応できそうな気がする。その暁には、脳内処理はオーバーフローし、音楽の抽象性をつかみ取るセンサーは、きっとお留守になるんだろうなあ・・・。とはいえ音楽再生において「場」の再現は重要であると思う。音波の発生する在処は「場」の上にしか成り立たないから、曖昧な表現では虚ろな実体感の乏しい「音の雲のようなもの」になるか、あるいはスピーカーの振動板が楽器にすり替わるような「単純リアル」のどちらかになるだろう。非難を承知でいうと、いちばん正しい「場」を感じさせるのは、いまでも「モノーラル」ではないかと考えている。モノーラルはひとつの球体(半球体)として波面をひろげていくから。


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