幻聴日記からの9章

音の彼岸 01, 02 ◆Voices 01, 02, 03 ◆Jazz and more 01, 02 ◆Thinking now 01, 02, 03
Sense of Audio 01, 02, 03 ◆My Favorite Cinema 01 ◆Cosmic on Bach 01 ◆MILANO1979 01 ◆三味線音楽 01
Four Personality 01, 02, 03, 04 ◆TOP PAGE→

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Photo & Text: m a c h i n i s t


Voices 03
039 ちあきなおみ 演じる歌

たとえば「矢切りの渡し」。永久の旅に漕ぎ出す男と女を、明確に唄い分ける。「クサイ」と言われればそうかもしれない。でもその作られた世界に聴き入ってしまう巧みさ。ほとんど浄瑠璃の世界だ。なおみさんは、いつも「その世界」の外側にいるんだね。どろどろの情念を唄っても、なにかクールな気配。男唄が上手いのはそのせい。テイチク時代の「男の郷愁」というアルバムはとくに好きだ。なかで「男の友情」と「居酒屋」は絶品ではないかなあ。
そして「朝日のあたる家」。戦後の焼け跡を舞台にした「ソング・デイズ」で唄ったし、去年リリースされたCD「ヴァーチャルコンサート」にも収録されている。極めつけはTBS-TVでオンエアーされた「すばらしき仲間2」でのスタジオライブ。これはもう壮絶としか言いようがない。仕草と歌唱が融合してパワーが8倍くらいになっている。まさに「演じる歌」の極北。
なかば引退してしまった、ちあきさんですが、もういちど生の声を聴きたい。演じない「素」の、なおみさんの内面の、こころの歌を・・・。


061 演歌、もう古典芸能でいいではないか。

ジャズもクラシックも聴くけど、演歌だけは勘弁という人は多い。類型的な旋律と手垢にまみれた、そのくせあり得ないようなシチュエーションを歌っているのだからヘンだよね(笑)。ちかごろの演歌、とくに歌詞は悲惨な状況だ。あらたに演歌をつくる必然性ってあるのだろうか。いち早く覚えて自慢したいカラオケマニア以外に・・・。

電気吹き込みの始まった昭和3年から昭和の終わりまで、あるいは20世紀終了まで広げてもいいけれど、我々が聴いたり歌ったりするのに、十分な楽曲が残されている。これらの表現を極めるという行き方はこれからでも価値があると思う。例えば古賀政男の最高傑作「無法松の一生」。この唄に備わる包容力を十全に表現した例を聴いたことがない。
写真:解体寸前のコタニビル、かつて新宿で最大のレコードショップだった。


115 井上陽水 氷の世界

1973年の夏、オープンしたての西武劇場の公演で「泣いた赤鬼」という人形劇の下働きをやっていた。舞台の下に潜って「屋台崩し」を音楽に合わせて仕掛けるのがぼくの仕事だった。その行き帰りの公園通りで「ジャンジャン」の看板を毎回見ていた。そこには「井上陽水」とチョークで書いてある。「カンドレ・マンドレ」から「陽水」に改名したのは、その前年だった。「傘がない」とか「人生が二度あれば」を、あの狭い空間で歌っていたのかと思うと、いまさらながら見ておくべきだったと悔やんでいる。
「氷の世界」はこの年の後半に発表された。行き場のない不定型なエネルギーと未来への不安が、このアルバムのなかに充満している。今とくらべれば鋭く細い声質がいっそうの浸透力をあきらかにしている。リアルタイムでこのレコードを聴いたときは、なにか身につまされて、ちょっと恥ずかしかったのを思い出す。しかし、井上陽水、日本語で歌う男性歌手として、いまでも屈指の存在ではないか。


112 浪速のクレイジーケンバンド

大西ユカリと新世界。「7曲入り」と名付けられたこのアルバム、じつはボーナストラックが8つもあって全15曲!。なかで、宇崎竜童・阿木燿子作の「真夜中に聴いた歌」。和田アキ子の嫌みを削除して、浅川マキの倦怠と内藤やす子の退廃をしのばせた、まさに70年代POP歌謡のエッセンス。ユカリさんはけして力まず、焦らず、かといって醒めているわけでもなく、太くてフレキシブルなヴォイス。じつに気持ちいいです。このCDは1枚なのにデカイ箱に入っていて、外装スリーブを外すと「18曲入り」と印刷されている。既発売の「5曲入り」と「6曲入り」が収納できるって、さすが大阪のお方のセンスは違うねえ。


185 地球の上に朝が来る

少年時代を思い返していたら「灘康次とモダンカンカン」につながっていった。いまでも現役の歌謡漫談グループだ。この夏、新宿末広亭の前を通りがかったら彼らがトリで出演しているのを知って感慨深いものがあった。あれから40年か・・・。
台風少年だったころ、同時に落語少年でもあったぼくは、親にせがんでこの末広亭へ連れていってもらった。偶然にもテレビ中継の日で、古今亭志ん生の病後復帰高座の「もう半分」や絶頂期の林家三平の「♪好子さーん」などを満喫したわけだけど、いちばん印象に残ったのが「灘康次とモダンカンカン」の舞台だった。芸人の世界なんだね、とてもディープな。テーマ曲は「♪地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう・・・」で、これは灘康次の師匠である川田晴久から引き継いだものだ。ナショナルクイントリックスで知名度を広げた坊屋三郎は川田が率いる「あきれたぼういず」のメンバーだったし、灘の兄弟弟子には、ダイナブラザーズを率いた小島章次がいる。って誰も知らないぞ(笑)。
ちなみに、当時ぼくはジャングルジムに登りながら「♪地球の上に朝がくる」って口ずさんでいたわけで、かなりヘンな子供だったに違いない。


226 温帯低気圧

NHK-BSでオン・エアーされた「わが麗しき恋物語 〜 クミコ ドラマティックコンサート」にたいそう感銘を受けた。先頃おこなわれたオーチャード・ホールのリサイタルの模様をシンプルに構成したセンスとサウンドクオリティも際だって良かったけれど、なによりクミコさんの等身大で自然な雰囲気と歌詞に込められた「言霊」の輝きに、90分間、身じろぎもせずに聴き入ってしまった。
以前「もう森へなんか行かない」をCDで聴いたとき、マットで心地よい質感に好感をもったのだけど、すでにあのレベルをはるかに越えているのではないだろうか。歌のなかのドラマへ注ぐフォーカスや聴衆への放射力は、日本語で歌う女性ヴォーカリストとして故人を含め最高レベルに肉薄していると思った。彼女が持つ、とてつもないポテンシャルは、自身の全貌を見せる前段階を物語っていると感じる。これから10年20年の歳月をかけて大輪の花を咲かせるのではないか。
・・・ふと、温帯低気圧のことを連想した。熱帯低気圧(台風)は海水温度が下がるエリアに入ると急速に衰えるけれど、あれは低温であっても衰えるすべを知らないばかりか、オホーツク海で巨大に発達したりする。このあいだ東京地区に観測史上最大の風速をもたらしたのも温帯低気圧だった。


234 謹賀2005

石川さゆりがBEGINをバックに歌った「津軽海峡冬景色」は、サウンドと歌唱のスポンティニアスな関係が、何千回も唄ったであろう彼女的には手垢にまみれた楽曲から、感情の襞を思いっきり表出させていて感動ものだった。2004年大晦日のレコード大賞のワンセッションでのことだ。TBSテレビはいつもながら音楽を伝える技術のスタンダードを持っている。先人の技がきちんと伝承されているのだと思う。対して「紅白・・・」これは悲惨だ。構成が超ダサなのは置いても、せめて音と絵のクオリティ管理くらいは出来るだろうに。新年早々の罵詈雑言陳謝






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