 2086 表現のプラットフォームとして
 ”幻聴日記3”のアーカイブ化に際して、2004年当時の記述を改めて読んでみるとなかなか良いのだ!こんな事を書いているんだと驚くことしきり。近年のポテンシャルの低さを如実に示していて恥ずかしい。オーディオ再生という概念を持ち始めたのが10代後半だったから、ほぼ35年間くらいの蓄積があったわけで、それが半年くらいの期間に表現として結実していると思った。表現行為というものは吸収のあとに来るのが道理で、出し続けるには同じ量を吸収していく必要がある。自転車操業では日常の諸々が題材になるのが常だろう。という次第で’究極のリアル?”では写真とテキストのクオリティを復活させたいと願っていて、いろいろな意味で”旅”が必要と思い始めている。机上の空論ではなく(笑) |