2024/02/22
2276 ピアニストを聴く。
クリスチャン・ツィメルマンのシマノフスキ作品集
シマノフスキは小山実稚恵さんのアルバムで知った。スクリャービン、シマノフスキ、サティに共通する匂いが好きだ。儚くて揺らぐような・・・うまく表現できない。ツィメルマンは若いときのショパンを良く聴いたが、いまや巨匠だ。このアルバムは構築性とニュアンス表現で完璧だと思う。我が家の装置でも録音の凄さが分かる。CD 40年でここまで来たかの感あり。2022年録音
ミケランジェリのパリライブ
ベートーヴェンのソナタNo.3とNo.11、ブラームスの四つのバラード
聴衆の拍手が止まって演奏が始まるまでの沈黙が超長い!予想の3倍くらいか(笑)完全主義者のミケランジェリだが、ライブ録音が多く残されている。一期一会にかける演奏者の気迫をいつも感じる。驚くのは、コード(っていうのかどうか)の響きのクリーンさと余韻の美しさだ。もしや平均律ではないのか?他のピアニストとは明らかに違う。さらにいうと速いパッセージでも間に入っている空気を感じるのは何故だろう?緩いわけではなく精密で質量のあるものが0.1mmフワリと浮いているような・・・1978年録音
内田光子のディアベリ変奏曲
このベートーヴェンの大曲は聴いていて息が詰まりそうになることが多く、最後まで聴き込むことが難しいと思っていた。が、内田女史の演奏は過剰なチカラを感じさせず、最後まで楽しめた。なにがどうとかの蘊蓄は言えない(笑)ピリスとともに大好きなピアニストだ。女流とかの区分けなしに、ね。2022年録音
ショスタコーヴィチ24のプレリュードとフーガ by Alexander Melnikov
わたし、はっきり言ってショスタコーヴィチが苦手なのだ。アレクサンドル・メルニコフが凄いという噂をきいて(笑)怖いもの見たさで求めてみた。が、2時間半聴いて、やはり苦手だぁ。演奏者のせいか、作曲家のせいか分からないが、凄い演奏だけど隙がないというか揺らぎがないというか・・・個人的な嗜好なのでお許しを・・・2008-2009年録音
2024/02/21
2275
iPhoneXs max
f2.4, 1/60sec, iso200, +0.36
2024/01/31
2274 けして調整が好きなわけではなく・・・
61バンドのRTA(リアルタイムアナライザ)と31バンドのアナログGEQによる調整を最後に行ったのは2021年の5月だった。その後は音楽が気持ち良く鳴る方向に聴感だけで追い込み、測定などは行わなかった。この1年でサブウーファーの設置改善とかプリアンプの入れ替えがあったので、現状を確認しつつ再調整を行った。今回もフラット志向は捨てて定在波の改善だけに的を絞った。これは三次元の振る舞いなのでGEQで平らになるケースは皆無で、少しでも改善方向に向かえば吉というスタンスだ。
61バンドは1/6octであり、理想的な観測窓としては1/24octくらい欲しいが、補整カーブは1/3octステップくらいが音が死なない限界ではないかと思っている。要は補整カーブの角度の問題でこれはデジタルEQでも同じとみているが、トリノフなんかは1/384oct(4096分割!)凄いねぇ、、
周波数スペクトラムは三次元の振る舞いであり絶えず揺らいでいるから、測定値の評価は一筋縄ではいかない。マイクロフォンの位置はスピーカー至近で左右、ニアフィールドポジション、リスニングポジション、リラックスポジションで測定する。RTAの表示をリアルタイム、ホールド、累積などを比較しつつGEQのスライダーを動かす。面白いのは定在波の発生帯域では測定値とスライダー操作がリニアに反応しないこと。操作帯域は80Hzから315Hzまでとし、最大幅を±4.5dB以内としているから、前記のとおり改善方向に向かえば更なる深追いはしない。
今回の調整は、定在波に関しては微調整で済んだのだが、サブウーファーとスーパーツイターのレベルを双方とも2dB程度アップさせた。AES標準リスニングルーム規格の範囲ではあるがかなりワイドレンジ仕様になっている。とはいえ今後様々なソースを聴くうちに元に戻る場合が予想される(笑)
で、現状の音は? 定在波は低域の曖昧さで語られると思うが、改善に向かうと空間に音が浮遊する感覚に驚く。スピーカーオーディオは空気のリニアな挙動をサポートすることだと気がついた。
写真は左上からリスニングポジションとスピーカー至近の測定マイクロフォンの位置。右下はリスニングポジションにおける補正後のRTA画面とGEQのスライダー位置。以前は左右別の補整カーブを採用していたが、現在は左右統一カーブにしているが理由は長くなるので省略。表示画面の横軸点線は10dB幅、スペクトラムの上にある孤立ラインはピークホールドの値。
2024/01/27
2273 1960年のレコード屋で・・・
旧甲州街道沿い、宿場町の面影を残した一角に「東響堂」という小さなレコード店がある。ガラス戸を引くとプラモデルの箱が積み上がった模型屋という風情なのだが、奥のカウンターの背後に天井まで届くレコード棚がある。店名のとおり本来はレコード店なのだ。
「ステレオ盤ならあるがそれでいいか?」
ロッシーニのウィリアム・テル序曲を買いに行った小学生の問いに店主が答えた。この時代、レコードの主力製品はモノラルの10インチ、7インチで、SP盤もまだ現役で売られていた。田舎の店のはなしなので都会は少し違ったが、ほぼ3年前にデビューしたステレオ盤は特別の棚に収められていた。レコードは平台の縦置き陳列ではなく棚の中に平積みされたいて、買い手が取ることはできない。
というわけで、言われるままにバンベルグ交響楽団(ジョネル・ペルレア指揮)の7インチステレオ盤を買った。家にあるのはモノラルの電蓄だったが問題なく聴くことができた。初めてのステレオレコードでいまでも10年に一回くらい聴く。かなりの名演奏で、とくに第2部の嵐、途轍もなくディープなクレッシェンドに陶酔する小学4年生(笑)
2024/01/10
2272 ハイドンについて
ハイドンの音楽はラジオ体操みたいだと思った。小学生のころだ。どんな曲を聴いたのか覚えていない。たぶん楽音の単調さしか聴き取れなかったのだ。
が、いまは違う(笑)ドラマ性ではなく、織りなす綾にひきこまれている。
新年の初音出しはこれを聴いた。晩年のピアノソナタ6曲を晩年のグールドが奏でる。万遍なく光が廻っている柔和な世界であり、聴き手に委ねたニュアンスに気づくと思う。
その点、ミケランジェリのピアノコンチェルトは、12気筒エンジンのような精緻な高揚感があって(じつは12気筒エンジンを知らないのだが・・・)ハイドン嫌いの人にもお奨めできる。わたし自身がそうだった。
2024/01/10
2271 昨年を振り返ると
多くの友人が旅立って行った。長期的な人生設計など考えない生き方をしてきたが、残された時間とどう向き合うのか、そればかり考えている。
4年ほど前に妻が難病であることが判明し、昨年あたりから日常生活に支障が出てきた。そのサポートと仕事との両立が課題なのだが、理解あるクライアントに恵まれなんとか乗り切っている。この先どのような困難が待ち受けているか分からないが、悩んでいる時間がないのが唯一の救いかもしれない。家庭での雑事を終えて10時半に出社し、5時間弱で仕事をこなし16時半までに帰宅する毎日。人とつきあう機会はほぼ無くなったが、もともと人付き合いが苦手な人間だからそれほど悩んでいない。リタイヤ間近とはいえ求められるかぎり今の活動パターンを維持したいと考えている。
とはいえ自身の健康がどうなのか? 2年連続で全身麻酔の手術があったりと、こちらも予断を許さないから、やはり長期的な人生設計は無意味という結論(笑)
2023/12/26
2270 S.M.S.L VMV D2Rが気になって妙な比較テストをした。
春先にマイテックデジタルのDACが昇天してしまい、とりあえず購入したS.M.S.L D300が予想以上の好感触。見通しが良く混濁感もなく耳に心地よい。気になるのはムースっぽい質感が垣間見れることや強靱な芯が足りないこと。”Cミンガス”はあまり聴きたくない(笑)たぶん内蔵のスイッチング電源のせいじゃないかと疑っていた。
いまさらマイテックもどうかと思案していると、S.M.S.Lの上位機種であるVMV D2Rが登場!こちらはROHMのフラッグシップDAC BD34301EKVはそのままで、強化アナログ電源搭載だ。ユーザーレビューも背中を押してくれるが約10万円のアップで、ブラックフライデーを逃したから慎重に考えようと、妙な比較テストを行った。
グールド1982年録音のゴールドベルグだ。デジタル音源のアナログディスクとアナログ音源のCD(80枚組Setの一枚)を較べて、D300が本当にムースっぽくて強靱な芯が足りないのかどうか見極めようという魂胆。ついでにデジタル音源のCDも併せて聴いてみた。
アナログディスクからCDに変えると、暗騒音的ゆらぎがなくなりグールドのハミングがよりリアルに聞こえる。左手の重量感とか全体の音色は予想外に似ていたが、空間への拡がりはCDの方が正確な気がする。懸念していたムースっぽい質感は感じなかった。というか、このキャラクタがアナログディスクにある艶感を補っているようだ。デジタル音源のCDは両者と較べるとやや無機質で色価が浅い印象。低弦のアタックもニュアンスが整理される印象。
D300、結構イケるしこの個性は捨てがたいという結論。VMV D2Rはまだ候補ではあるけど、中華風ゴージャス感がちょっとイヤかも。
2023/12/23
2269 無念
館一男さん(ペンネーム:早瀬文雄)が今年10月15日に亡くなられた。報告が遅くなったのは心の整理が付かないからで、いまでも無念でしかなくこの喪失感が消えることはない。当方のブログでも幾たびか書き記しているが、オーディオを通して知り合い、20年にもわたる交流が続いた数少ない友人のひとりだった。追い求めたことを実行に移す姿勢に憧れたものだ。私は現状を変える勇気がなくいってみれば農耕民族であって、この正反対の性格が交流を続けるモチベーションだったのかしれない。いつも余韻を残す対話があり、もっともっと話し続けたい存在だった。合掌
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