1787 紀尾井ホールの今藤政太郎演奏会
 今藤政太郎さんと巡り会ったのは、わたしが20歳のときだった。 師はそのとき30歳代半ばであった。 それが傘寿を迎えるとは、感慨深いものがある。
プログラム最後は「紀州道成寺」
さすがに、若いときの俊敏な切れ味は後退していたが 骨太の一刀彫りと形容したくなるような気迫溢れる演奏だった。 人気演目の「京鹿の子娘道成寺」のような艶やかに拡散する楽曲ではないが 謡曲「道成寺」や、さらに遡って「日高川伝説」に通じる、 なにかデモーニッシュで、巨大な何かを感じさせるような後半の展開。 この演奏があって、初めてこの曲の神髄を垣間見たというべきだろう。
終演後、師匠がロビーで挨拶に出ておられたので、 素晴らしかったと感想を申し上げたら、 「いやぁ、なんか三味線が下手になっちゃってねぇ・・・」 人間国宝で芸術院会員の巨匠が、普通こんなことは言わない(笑) 意味するところは、なんとなく分かるような気がしたが、 この圧倒的な演奏のあとだから、謙遜なんていう次元ではなく、 自身が秘める志の深さを滲ませた言葉として受け止めた。
ps: 別の楽曲であったが、女流三味線陣のなかに、演奏する姿がひときわ美しい方がいた。 今藤政音というお名前。気になったので、師匠の奥さまに電話で尋ねたところ 某音大の楽理科出身で、師匠の演奏を聴いて、邦楽に開眼したとか。 人生を変える出会いは、素晴らしいことだ。 彼女は将来の逸材だと予感したから、今後の活動は要注目。 |