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710 歌い続ける人生 | ![]() | No.708の「シブヤらいぶ館・特別編」の番組制作を手がけられた、 NHKの小林悟朗氏からメールをいただいた。 ・・・松山恵子の50年にわたる歌人生の最期に立ち会った貴重な証言。 ぼくだけ読むのはもったいないので、ご本人の許可を得て、紹介させていただいた。 ちなみに、彼はオーディオ関係のぼくにとっては数少ない友人の一人であり、 多くの示唆を与えてくれる存在でもある。 幻聴日記、拝見しました。 素敵な文章をありがとうございました。 あの日 松山恵子さんは とても凛としていました。 後で考えれば 立っているだけでも やっとだったと思うし 歌も思うにまかせない・・・とあれば 普通の人だったら 周りの人 特にADさんやモニターPAの人などに あたりちらしても不思議ではない状況です。 でも あの日彼女は、とても静かでした。 音あわせ(音楽リハーサル) そしてカメラ・リハーサル 本番と 3度ステージに立ちましたが その様は オリンピックなどで 予選 準決勝 決勝と駒を進める 陸上選手のようでもありました。 力をたくわえ つとめて感情を抑えていたように思われます。 本番直前に 楽屋に最終確認に伺ったときも 鏡に向かって ご自分でお化粧を直していらっしゃいました。 いくつか段取りの確認をすると 「わかりました。 よろしくお願いします」と静かに 答えました。 普段だったら「キレイにとってね 年やけんねぇ・・・(笑)」みたいな雰囲気なんですけど。 今回の番組で最初に打ち合わせをしたのが 去年12月の後半でした。 その後 1月終わりの歌謡コンサート 生出演 その後の2回目の打ち合わせ・・・など だんだんと収録の準備が進む中で 私は 松山恵子さんの病気が 予想以上に深刻なことに薄々気がついていました。 それでも 一方で あの収録の日とその後の放送日に賭ける彼女の気迫に 終始圧倒され続けたのです。 松山恵子さんとは 美空ひばりさんが亡くなった直後1989年7月7日からの 15年あまりのおつきあいでしたが 歌人生50年の最後のメッセージを 信頼して託していただき 光栄に思います。 小林悟朗 |
EOS-1Ds MarkII EF16-35mm 2006/06/04 |
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709 嫌われ松子の一生 | ![]() | たぶん、今年の日本映画賞を総ナメするんじゃないだろうか。 主演女優は絶対決まりと思うし、監督、作品、美術、音楽、衣装・・・。いろんな要素をゴッタ煮しながら、猥雑かつ豊穣な"映画の時間"を感じさせてくれる作品だ。流儀は違うけれど、鈴木清順の一連の諸作「チゴイネルワイゼン」「陽炎座」・・・以来の快挙だと思った。なにが良かったかなんていう蘊蓄は今回はナシということで・・・(笑) |
PENTAX *istDS SIGMA17-70mmF2.8-4.5DC 2006/06/03 |
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708 二人の歌い女 | ![]() | 森昌子の復帰ステージになったNHK歌謡コンサートは厳しいものがあった。長年のブランクで声を出し切れないのは仕方ないとしても、往年の自分の歌の表面だけをなぞった歌唱。「生活のために歌う」と宣言した性根を垣間見ることはできなかった。オンエアーされたシーンを見ただけの印象ではあるけれど、継続的に活動していくのは無理じゃないだろか。ファンのひとりとしてはとても残念なことではあるが・・・。 ・ 対して、お恵ちゃんこと松山恵子の最後のステージを記録したNHK-BS「シブヤらいぶ館・特別編」。この感動を伝える言葉がみつからない。ぼくは彼女の歌にそれほど興味を持っていなかったし、特異なアコーギクやエキセントリックな立ち振る舞いと衣装、どちらかといえば遠ざかる要素を多く持った歌い手だ。それがあろうことか見ている途中から涙が止まらなくなってしまった。母の思い出話から自身の闘病の告白、そして歌と語り、それらが境目なくひとつの存在・表現になっている。けして豊かとはいえないこのときの声から、彼女の過去・現在・未来すべてが聞こえてきた。 歌手にとっていちばん大事なものが「聴き手を共振させるチカラ」だとしたら、このときの松山恵子は圧倒的にそれを備えていたし、さきの森昌子に足りないものは、歌唱力だけではなかったのかもしれないと、ふと思った。 写真:ポーズにしたら画面が粗くなってしまったが、このときの彼女、歌う姿がとても美しかった。 |
PENTAX *istDS SIGMA17-70mmF2.8-4.5DC 2006/06/02 |
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707 401minutes | ![]() | 昨日の日曜日は「ドクトル・ジバゴ」と「マルコムX」を連続踏破するという怪挙に出たのだが、やはり疲れた(笑) 「ドクトル・ジバゴ」は、音楽が語りすぎるとか群衆がやけに整然としているとか、今となっては古いセンスだと思った。1960年代に作られたものの難しさは映画だけではないが、もっと古い時代と70年代以降の両リアリズム(意味はかなり違うが・・・)の谷間だったのかもしれない。作為だけがいつまでも尾を引くような"作家性"を感じたといったら言い過ぎか。 「マルコムX」は自由民権運動の闘志としての物語より、前半のヤクザ時代、1946年のシカゴの街のリアル感あふれる描写が印象的だった。ダンスクラブのビッグバンドのシーンは、映像も音楽も"場"の匂いを伝えている。 写真:横田のDEMODE DINER。国道16号の向こうは塀の中のアメリカ。(2004年5月撮影) |
PENTAX *istD FA28-105mmF4-5.6 2006/05/29 |
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↑フルカラー(RGB各8bit)の精密グレースケールの両端を表示しています。すべてを正確に画き分けるモニターは存在しないと思います。
しかしながら「14」や「242」が識別できない場合はモニターレベルで顕著な黒潰れや白飛びが発生しています。ガンマユーティリティなどを使ってモニター調整することをお奨めします。 このページのすべての要素は製作者であるmachinistに著作権があります。複製使用等はご遠慮ください。 |