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![]() 下のbackボタンで過去へ進みます。 幻聴日記第1期 INDEX はこちらから ![]() photo and Text: machinist |
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636 Hard Core | ![]() | いま、中国で起こりつつある事態。 http://www.asahi.com/international/update/0221/014.html 東欧の自由化は西側からの電波が大きな役割を果たしたが、ネットを介した民主化運動、こんどは本物かもしれない。 ・ "An ordinary spectacle" 2月の特集をアップした。季節柄というわけでもなく相変わらずの地味写真ではあるが、先の634で触れたように、光ではなく物質や空間そのものを写し取るという叶わぬ思いを伝えられないか、と。 ・ EOS 30Dは"631"で10日前に予告したとおりの仕様で本日発表されるけれど、ほんとうにインパクトがない(笑) オフィシャル英語版サイトにはすでにサンプル画像がアップされているが・・・うーん、PowerShotライクなアク抜きしたようなボディのない透明感! サブ機はNIKONで決まりだなあ。 |
EOS-1Ds MarkII EF50mm F1.8 2006/02/22 |
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635 りゅりゅさんの掲示板から | ![]() | みみ● 全体量というか器の大きさが決まっている場合、巧く案配して平均点をキープする方向とは別にある部分を突出させる手法は大いにアリと思います。生活レベルでもそうですよね。 ぼくなんか絶対後者だな(笑) りゅりゅさん● それは、やっぱみみさんはアーティストなんですよ(笑) みみ● 以前にもここに書いたような気がいたしますが、ぼくはアーティストじゃありませんので。与えられた条件や材料をふまえてクライアントの目指すものをカタチにするだけ。自分を出そうなんとはこれっぽっちも・・・←ほんとうですよ。 「自己表現って言葉がいちばんキライ(笑) オーディオは自己表現!なんてことをいう人がいますけど、蹴っ飛ばしてやりたい(笑)。 修羅さん● 私は「オーディオは自己表現である」と言い切る一人です(笑) オーディオを志す動機には、まあいろいろな定義付けがありますので自己表現という言葉が嫌い、というみみすけさんのスタンスは有りとは思いますが、私にはどうしても理解できないことがあります。それはみみすけさんが現在ご使用中の機器たちの立場、というか存在の必然性です。 与えられた条件や材料をふまえてクライアントの目指すものをカタチにするだけ。とおっしゃっていますが、ではみみすけさんのアンプやスピーカのクライアントは誰ですか?クライアントが望むものを形にするのがみみすけさんの仕事であり、生き様であるなら、自らの望むもの(クライアントの要求)を自らが作り上げた(職人の立場)のが今、みみすけさんのご使用中の愛機たちなのではないですか? 私は上記の行為を自己表現の一つの究極の形と定義します。 みみすけさんの愛機達が「自己表現の具現ではない」とするなら、みみすけさんの考える「自己表現」とはいかなる行為なのでしょうか? みみ● おっ!いきなり剛速球ですねえ(笑)さきの文章の失礼にあたる部分、謹んでお詫びいたします。 この問いかけに短い文章で伝える自信はまったくないのですが・・・ まず、アートにおける「表現」とはなにかと考えてみると発信者が相手に向けて投げかけるフォースのようなものが、まずあってそれを受け手が反応するという一連のプロセスではないかと思っています。電気に例えると、このフォースは電流ですね。受け手の抵抗値によって固有の電圧を発生させるわけです。この抵抗値はその人間の履歴といってもいいと思いますがひとそれぞれで、同じ表現が人によっていろいろな反応をします。感動であったり嫌悪であったりと。 「自己」は、この履歴が定型化したものと考えてはいけないと思います。なぜなら、人間の価値観は日々変わる部分があって経験にない凄いものに反応すれば自己は更新されますし、もっと言えば、新しい感動は自己を出たところで感じるものではないでしょうか。これは発信者においてはもっと顕著であって過去の「自分」らしきものが作るものは、まったく刺激的ではありません。 なので、ぼくが理想とする表現というものは発信者も受け手も自己から出た(解放された)ところで出会うものです。 (はなし逸れてます。で、なんでしたっけ?) そう、「自己表現」っていう言葉ですが、自分の現時点寸前までの集大成を爆発させているようなニュアンスを感じてしまうのですよ。 ぼくのところの自作機器の件は、ここまでの文章と連携してませんが(笑) 音楽を聴くために、いかにストレスなく(機械の介在を忘れるという意味)かつ、ローコストで実現できるかという単純なチャレンジであって、その音に自分のなにかを投影するという意図はありません。まあ、市販品で同じレベルを求めるとしたら、どうすれば叶うのか悩むくらいのレベルにはいっていると思っていますが、まだまだ不十分なものです。多くの面で機竜に負けてますしね。 りゅりゅさん● 難しい(^o^;) 単純に考えると・・・(笑) 「現時点寸前までの集大成を爆発させる。」 おお。逆にすごい素敵かも〜なんて思ってしまうんですが(笑)。未来はどうあれ、今感じてるものを、どうだ、これが今俺の考えるビートルズだとかね。 音楽を聴いてると、いろいろ自分は感動したり解釈しますよね。 このアーティストはこの音でなければならない。この曲は・・・こんなにゴージャズに再生されてはいけない。もっとシンプルにクールにとか。あるいはもっと悲しくとか楽しくとか。もっと単純にいうと、この曲はこのくらい大きな音量でとか小さな音でとか。 オスカルさんのいうように距離感を計って音量を決めるというのもいいんですが、距離感なんかないような録音もあります。その場合は・・・こっちが勝手に決める必要があります。なんで決めるか。楽器の大きさでは決めないなあ。曲の持つ勢いというかニュアンスで決まるというか。 極端な例をだせば悲しく寂しい、消え入りそうな曲なのに大音量で出すバカはいないということです(笑) おっしゃるように自己は変わる。それにつれていろんな価値観や解釈も変わるかもしれないけれど、今、現時点で自分が到達した、これがマイルスのならしかただよという押し付けもいいんじゃないかと。俺が考えるエバキャシディはこう歌うんだと。 こういうのって自己表現じゃないのかな。 修羅さん● 「表現」とはなんぞや、というみみすけさんの説明は理解できます。方向として私の考える「表現」と大きくは違いません。が、・・・・ > もっと言えば、新しい感動は自己を出たところで感じるものではないでしょうか。 感動している人は誰なのですか?その瞬間に存在する「ある自己」なんじゃないでしょうか。 > 過去の「自分」らしきものが作るものは、まったく刺激的ではありません。 これは適用を限定して捉えさせていただきます。少なくとも私はそのように考えませんし、自分の過去の作品にしょっちゅう感動しています(笑)それに過去に存在したのは「自分らしきもの」ではなく、まぎれもない「過去の時点での自分」のはずです。 > なので、ぼくが理想とする表現というものは > 発信者も受け手も自己から出た(解放された)ところで出会うものです。 ここの部分がおそらく私とみみすけさんの自己定義の最大の違いだと思います。自己から出たところの出会いという概念が私にはありません。 > 自分の現時点寸前までの集大成を爆発させているようなニュアンスを感じてしまうのですよ。 まさのみみすけさんのおっしゃる通りだと思います。しかし、みみすけさんはそれをネガティブに捉えている。逆に私はそのことを重要なオーディオをすることの意義と考えています。 > その音に自分のなにかを投影するという意図はありません。 意図のあるなしはこれは個人の主観ですから、そこにクレームをつけるつもりはありません。しかし、みみすけさんがストレスなく音楽を聴くために様々な要素をその時の自己(自分というほうが一般的か?)が選択し丹誠込めて作り上げた機器群。これを私は自己表現の具現と定義します。だって他の誰にみみすけさんの愛機達が創れるのでしょうか?みみすけさん以外の誰にもできませんよ。 自分がこのようにあるべきと考え、そしてそのように作り上げたもの、それは音であってもモノであってもその時点での「自己表現の具現」である。 これが私の考えです。 故にその時点での自分以上の音も出せないし、モノも作ることができない。 みみ● ちょっと端折ってしまいますが、修羅さんより、頑迷な自己というものがあるのかもと思いました。ぼくの場合(笑)。自分自身が好きじゃないのか・・・だからいつも出たいと思っている。 > 自分がこのようにあるべきと考え、そしてそのように作り上げたもの、それは > 音であってもモノであってもその時点での「自己表現の具現」である。 他者から、それは自己表現だよと言われれば、そのことを否定はできません。 が作っている人間にはそういう意識はないのです。ただ、目的に向かって理詰めに・・・(っていっても主観かもね・・笑) 修羅さん● > 自分自身が好きじゃないのか・・・だからいつも出たいと思っている。 そういった要素は私にもあります。ただ、それは「出たい」というよりもより良く変わりたいという気持ちにつなげるようにはしています。なかなかできませんが(笑) 以前、ある人とこんな会話をしたことがあります。 達人「あなたの絵作りってどこの部分ですか?」 修羅「いえ、私は絵作りなどという不確かな自己満足的な考えでものを作ってはいません。理論的に正しいことを客観的な評価でまとめあげているだけです」 達人「そのアプローチこそがあなたの絵作りそのものじゃないですか」 これには返す言葉がありませんでした・・・ 機竜調教プロジェクト内の優秀録音BBSから、主宰者のりゅりゅさんと、発言者の修羅さんのご快諾のもとに無修正で流用させていただきました。 お二人にこころからお礼申しあげます。ちなみに「みみ」はわたくしmachinistでございます。 |
EOS-1Ds MarkII EF50mm F1.8 2006/02/20 |