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2008/12/20
1064 曙橋-四谷三丁目的日常 f

EOS-1Dsも2110万画素になってからは、スナップに持ち出すのをつい躊躇してしまう。なぜかというと「手ぶれ」だ。1Ds2の1670万まではなんとか耐えたが、1Ds3はブレのせいで没カットになるケースが多々。結局のところトータルの解像感には進歩がない(笑)

※3点ほど画像を入れ替えましたので、リドローしていただけると万全です。
※従来のデータサイズに収めるため、不本意ながら大幅な圧縮をほどこしています。
※撮影データ:EOS-1Ds3, EF17-40mmf4.0



2008/12/20
1063 曙橋-四谷三丁目的日常 e

この6連作は左右ノートリミングで天地をカットして16:9にした。見慣れると横長画面はこのくらいのプロポーションがいい。広角ズームのせいかも。標準・望遠は4:3か。3:2は中途半端?



2008/12/20
1062 曙橋-四谷三丁目的日常 d

カメラの画素数が異なっても、ブレは同じだろうという意見をよく耳にする。が、それは乱暴なはなしだ。同じ解像度でよければ同じという意味でしかない。



2008/12/20
1061 曙橋-四谷三丁目的日常 c




2008/12/20
1060 曙橋-四谷三丁目的日常 b




2008/12/20
1059 曙橋-四谷三丁目的日常 a

 







2008/12/16
1058 菊池成孔「記憶喪失学」における壮絶と柔和

CompactDiscという器に、ここまでの質感を封じ込めたということは、はっきり言って事件だ。音楽を聴くうえでオーディオに拘りすぎるある種の後ろめたさを完璧なまでに吹き飛ばしたとでも言えようか。この凄さは何時以来かとしばし考え、そうだ、YAMAHA製ベースアンプを中央に据えた自作4wayシステムで聴いたEW&F「All in All」が最初にして最後だったと思い出した。

音楽を形成する個々の(ダイレクトな)音素がきわめて強靱なうえに、それらの余韻を活かす空間をきちんと確保している。しなやかで甘美な蝕感と悪魔的エッジがシームレスに共生している。生半可な再生装置では、とくに後者の再現は難しいだろう。



2008/12/12
1057 TOKYO MIDTOWN STARLIGHT GARDEN f

せっかく、イルミネーションの渦の中に来たのに、こんなモノを撮っている。

※1052からの5点のうち、"a" と "c" を別のショットに入れ替えた。(2008/12/15)




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