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2013/03/29
1674

稲荷山公園のサクラは、いまが満開。



2013/03/01
1673 元町d




2013/03/01
1672 元町c

録音を拒否する演奏家vsコンサートをしない演奏家(・O・;

オーディオ的視点で観察すると面白い。

録音を拒否する演奏家としては、なんといってもセルジュ・チェリビダッケだろう。
ミケランジェリも気分が乗らなかったり、ピアノのコンディションが悪いと録音しなかった。

清元の五世延寿太夫は、こう言って録音を拒否した。

「待合」で寝転がって聴かれたんじゃたまらんねぇ。

再生クオリティへの疑念もあったとは思うが、
彼らは演奏の「一回性」というものを信念としていたのではないか。
演奏者がいて、聴き手がいる。この邂逅(即時性)のなかに音楽があると。
オーディオマニアは音質が良いと「まるで目の前にいるような・・・」なんて表現するが
まったく別次元であって、いかに音質が優れていても再生では踏み込めない領域がある。

一方で、コンサートを行わない演奏家として、グレン・グールドが有名だが、
古いところでは、アルゼンチンタンゴのロシータ・キロガもいた。
そういえば、門あさみもそうか(笑)

彼らにとっては、封じ込められた音盤を再生することが音楽そのものだ。
言い方を変えると、演奏の「一回性」をスピーカーまで先延ばししたのではないかと。
菅野沖彦さんの「レコード演奏家」はちょっと口に出しにくい言葉ではあるが(笑)、
こういう視点で考えると、けっこうスゴイことを仰っていると思う。

アーティストに対して僭越かも知れないが、
演奏の最終段階を担うようなオーディオ再生って、あってもいいと思うのだ。
個人的には、そのくらいやらないと趣味としてはつまらない・・・



2013/03/01
1671 元町b

アナログvsデジタル論争(^。^)

不毛だ。 まったく無意味。

その昔、パソコン通信の時代から連綿と交わされきた話題だ。
・・・ニフティサーブへようこそ♪ とかでもやっていた。

なぜ不毛かって、それは聴きたいソースのフォーマットに依存しているからだ。
SP盤はその時代の最高の機械がいちばん良い音を奏でる。
その原盤を注意深くDSD化したところで、余計なプロセスが加わるだけで
さらに良くなることはない。

(脱線1)
 映像でいうと、NTSCは19〜21インチのブラウン管、
 それも走査線がしっかり見えるやつ。
 これがいちばん鮮明であって、
 アップコンバータでのっぺり均した大画面はダメ。
(脱線2)
 アナログの場合、プレス盤よりテープの方が良いという意見。
 これは納得できない。
 テープは録音された瞬間から劣化が始まる。
 高域の劣化した古いオリジナルテープやマスターテープを
 テストトーンを基準にイコライジングすると、
 S/Nも歪みも劣化し、密度感が後退する。
 録音から日を置かずカッティング、プレスされたディスクが最高なのだ。

フルデジタルの現在では、論争(選択)の余地もないが、
80年代のアナログ・デジタルが共存していた時代にかぎり、
ユーザー側の嗜好が入り込むと思う。

この時代に録音された、ムジカ・アンティクヮ・ケルン「フーガの技法」3枚組CDは
1枚目AAD、2枚目ADD(たぶん)、3枚目がDDDという面白いセットで、
個人的にはDDDの先鋭感が演奏スタイルに合っていて好きだ。

例えると「走査線がしっかり見えるNTSC」の趣かな(笑)



2013/03/01
1670 元町a




2013/01/07
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このカットはステージ背面のガラス張りロビーから撮った。
いくらなんでも、素でここから撮る勇気はない(笑)
下のカットは右奥の台から手前の台にジャンプして逆立ちのまま
一瞬に駆け降りたタイミングを撮ったものだが、
この芸の直前、お姉さんに台の間隔を広げられて、

「これは無理っす・・・」
「お前なら出来る」という会話をしていたであろうシーンがこれ。



2013/01/07
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このシーンは連続撮影に切り替えようか迷ったのだが
得てして、コマとコマの間がベストタイミングになる(笑)



2013/01/04
1667 正月浦和彷徨 g

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