1672 元町c
 録音を拒否する演奏家vsコンサートをしない演奏家(・O・;
オーディオ的視点で観察すると面白い。
録音を拒否する演奏家としては、なんといってもセルジュ・チェリビダッケだろう。 ミケランジェリも気分が乗らなかったり、ピアノのコンディションが悪いと録音しなかった。
清元の五世延寿太夫は、こう言って録音を拒否した。
「待合」で寝転がって聴かれたんじゃたまらんねぇ。
再生クオリティへの疑念もあったとは思うが、 彼らは演奏の「一回性」というものを信念としていたのではないか。 演奏者がいて、聴き手がいる。この邂逅(即時性)のなかに音楽があると。 オーディオマニアは音質が良いと「まるで目の前にいるような・・・」なんて表現するが まったく別次元であって、いかに音質が優れていても再生では踏み込めない領域がある。
一方で、コンサートを行わない演奏家として、グレン・グールドが有名だが、 古いところでは、アルゼンチンタンゴのロシータ・キロガもいた。 そういえば、門あさみもそうか(笑)
彼らにとっては、封じ込められた音盤を再生することが音楽そのものだ。 言い方を変えると、演奏の「一回性」をスピーカーまで先延ばししたのではないかと。 菅野沖彦さんの「レコード演奏家」はちょっと口に出しにくい言葉ではあるが(笑)、 こういう視点で考えると、けっこうスゴイことを仰っていると思う。
アーティストに対して僭越かも知れないが、 演奏の最終段階を担うようなオーディオ再生って、あってもいいと思うのだ。 個人的には、そのくらいやらないと趣味としてはつまらない・・・ |