1802 記憶のなかの名舞台2 アリ・アクバル・カーン
 アリ・アクバル・カーン(1922-2009)は北インドの伝統的な撥弦楽器「サロッド」の巨匠であった。 サロッドはフレットレスのシタールみたいな構造で、ドローンと呼ばれる共鳴弦が備わっている。非常に幽玄で微妙なテクステュアを描くとこころは義太夫の太棹三味線に近い世界観かもしれない。
古いオーディオファイルの方はご存じかもしれないが、コニサーソサエティというアメリカのレーベルからマスタープレスのLPが出ていて 、アリ・アクバル・カーンの演奏が3種ほどリリースされていた。 このなかの「40分のラーガ」という作品は、短縮形とはいえ伝統的な構成「アーラープ--ガット--ジャーラ」を踏襲したアルバムだった。
1970年代に、この巨匠の演奏会が東京であり幸運にも聴くことができた。 このコンサート、普通のものではなく、反シオニズムの政治活動の一環として行われた。演奏プログラムなどはなく、シオニズム運動を糾弾する冊子が配られた。場所は南青山の住宅街にある施設、たぶんイラク大使館関係者の公邸だったのではないか。エントランスと一体の20畳程度のリビングルームが演奏会場だ。共演の2人、タブラ、タンブーラも上記のアルバムと同じメンバーであったと記憶している。
ここで聴いた音楽はいままで体験したことのない種類のものだった。 メンバー相互の音を聴きつつ、聴衆の反応も観察していて、それらがリアルタイムで演奏に反映されるのだ。アーラープの緩慢で執拗なリピート(厳密には繰り返しではないのだろうが)に客が飽きそうだと察知すると、笑いを誘うリズムやフレーズを入れてくる。サロッドのフレーズ(テンポとリズム)に名手マハブルシュ・ミスラのタブラがとぼけたリアクションを入れてみたり、この二者が意図的にばらばらなプレイを展開し最後の一音でバシッと決めたり・・・とか。いずれにせよ抽象的な音だけで笑わせてしまう音楽というのがスゴイし、ここでは厳密な構成美とスポンティニアスな軽さが両立している。これと較べると、ハードバップジャズのアドリブは柔軟性に欠けるように思えるし、フリージャズのインタープレイは自我が表に出すぎると言えるかもしれない。
※30数年前のおぼろげな記憶をたよりに書いてみたが、このときの数十人の聴衆のなかにいたことが、いまでも宝物なのだ。(この記事は姉妹サイト<at sense>のコンテンツを改訂しアップしたものです。写真右は演奏会当日に頒布されたパンフレットの表紙。)
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