874 阿久悠「ざんげの値打ちもない」
 彼の作品でいちばん印象深く、かつ好きな詞だ。北原ミレイのデビュー作でもあるが、3番の「細いナイフを光らせて」の一節は21歳だった彼女の鋭い眼差しとオーバーラップした記憶がある。
この曲がリリースされた1970年当時は「怨み節」という括りで語られることが多かったが、もっと達観した境地にあるのは4番の詞をみれば明らかで、No.62で取り上げた、ちあきなおみ「酒場川」と同質の鎮魂性を感じる。伝え聞くところでは阿久悠氏は「ポルトガルの教会のクリスマスの夜」をイメージして作ったようで、そのイメージの翼に驚くが、さらに個人的に飛躍させてもらうなら、1番から3番は1965年から70年であり、新左翼運動の隆盛、衰退の年代記ということになる。
残念ながら、手元にある北原ミレイのこの歌は後年に録音された全曲集アルバムで、当時の鋭角的な向かい方は消えているが、この詞は4番に立脚点があるわけだからより曲想に近づいた歌い方というべきか。そうそう、鎮魂性という面でいうと、故・岸洋子の歌ったこの曲は、過ぎ去ったはるか昔の自分自身を偲ぶ"静謐なる慟哭"を意図したように思えるのだが。
作曲は村井邦彦である。(JASRAC作品コード036-2731-4)
♪あれは二月の 寒い夜 やっと十四になったころ 窓にちらちら 雪が降り 部屋はひえびえ 暗かった 愛というのじゃないけれど 私は抱かれて みたかった
♪あれは五月の 雨の夜 今日で十五という時に 安い指輪を 贈られて 花を一輪 かざられて 愛というのじゃないけれど 私は捧げて みたかった
♪あれは八月 暑い夜 すねて十九を越えたころ 細いナイフを 光らせて にくい男を 待っていた 愛というのじゃないけれど 私は捨てられ つらかった
♪そうしてこうして 暗い夜 年も忘れた 今日のこと 街にゆらゆら 灯りつき みんな祈りを する時に ざんげの値打ちもないけれど 私は話して みたかった |