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114 ビル・エヴァンス 結晶するエクスタシー

1973年冬、東京郵便貯金ホール。控えめなPAがエヴァンスの端正で複雑な音色を聴衆に伝えた。アンコールの「T.T.T.T」、鉱物質の美を滲ませた新鮮なサウンドがいまも耳に残っている。いつまでもラファロ時代のトリオにこだわるのは間違いと思い知る。じつはこのときがビル・エヴァンスの初来日だった。麻薬問題で長いあいだ入国許可が下りなかったとあとで聞いた。
このコンサート、気になっていたクラスメートがエヴァンスファンだったので、一緒に行こうと誘ったけれど、何日の演奏を聴くかでもめた。彼女はツアー初日に行き、ぼくは最終日を選んだ。レコードになった「The Tokyo Concert」はこの最終日に録音されたものである。(PENTAX*istD SIGMA 18-50mm/f3.5-5.6DC)
2004/07/08




113 セシル・テイラー 闇にひそむ野獣

これも新宿厚生年金会館。一曲目の演奏は延々50分続き、休憩時間のロビーで山下洋輔氏を発見。この少し前、都市センターホールで山下洋輔のソロコンサートを聴いていたので、つい比較してしまう。一般的にもテイラーと洋輔は比較対象になることが多かったけれど、眼前で聴く演奏をもって、あきらかに異なる地平の音楽であると確信した。山下洋輔のサウンドは白飛びするほどのコントラストで、音楽を白熱へ導いていく。対するテイラーは、ダークトーンをベースに底知れないダイナミズムで聴き手を暗黒の世界へ引きずり込む。湿り気と微かな野獣の匂いを発散させながら・・・。
この時期に東京で録音されたトリオレーベルの「SOLO」は、強靱でありながら鋭角的ではなくラウンドする触感と、漆黒の闇、セシル・テイラーの本質を見事に捉えたジャズピアノ屈指の録音だ。エンジニアは名匠菅野沖彦氏である。(PENTAX*istD SIGMA 18-50mm/f3.5-5.6DC 合成)
2004/07/07




112 浪速のクレイジーケンバンド

大西ユカリと新世界。「7曲入り」と名付けられたこのアルバム、じつはボーナストラックが8つもあって全15曲!。なかで、宇崎竜童・阿木燿子作の「真夜中に聴いた歌」。和田アキ子の嫌みを削除して、浅川マキの倦怠と内藤やす子の退廃をしのばせた、まさに70年代POP歌謡のエッセンス。ユカリさんはけして力まず、焦らず、かといって醒めているわけでもなく、太くてフレキシブルなヴォイス。じつに気持ちいいです。このCDは1枚なのにデカイ箱に入っていて、外装スリーブを外すと「18曲入り」と印刷されている。既発売の「5曲入り」と「6曲入り」が収納できるって、さすが大阪のお方のセンスは違うねえ。(PENTAX*istD FA ZOOM 28-105mm F4.0-5.6IF)
2004/07/06




111 マッコイ・タイナー エナジー・オブ・サハラ

1972年の秋、新宿厚生年金会館の舞台両袖に配置された、JBL4520巨大ウイングホーン付き拡声器は悲鳴を通り越え、断末魔の叫びを上げていた。休憩時間にそのPA装置を点検しているエンジニア氏に思い切って尋ねた。どうしてこんなにひどい音なのかと。氏は困惑しステージを指して、演奏のせいと言わんばかりだ。
「SAHARA」はある時期、ジャズ喫茶で「リターン・トゥー・フォーエバー」と交互にかかるほどの人気アルバムだった。その余韻のなか、同じメンバーで来日したマッコイ・タイナーグループの公演。PAエンジニア氏の見解はある意味で正しい。アルフォンゾ・ムザーンの叩き出す強烈な一撃はマイクロフォンの段階で飽和していたと思うし、それに鼓舞されてマッコイもソニー・フォーチュンも限界までテンションを高めていた。同じ舞台でジョン・コルトレーンが死闘のパフォーマンスを繰り広げたのは、ここからわずか7年前の出来事だけど、あの伝説のステージをオーバーラップさせたのは、ぼくを含め何百人かいたはずだ。(PENTAX*istD SIGMA 18-50mm/f3.5-5.6DC)

次回は別の話題を一つはさんで「セシル・テイラー」です。
2004/07/05




110 朝日座の津太夫と寛治

その「合歓の郷」の帰路は同行の友人たちと別れて、単身で大阪へ向かった。いまは「国立文楽劇場」となった上本町の朝日座で人形浄瑠璃を体験するためだ。東京の国立劇場で文楽公演があると必ず見に行っていたけれど、朝日座のそれは別格だ。東京ではみんなテキスト(床本)を広げながら勉強する雰囲気なのに、ここでは家族が弁当を広げながら楽しんでいる。まさに生きている芸能を実感する瞬間。
出し物は「傾城反魂香」。相務める太夫は竹本津太夫、三味線鶴澤寛治。この時代の考えうる最高の布陣であり、以後もこれを越える存在はないだろう。その芸はフレームの中に収まらないだけでなく観客と一体の高揚感を醸し出している。太棹の鶴澤寛治は80歳代半ばであったはずだが、振り下ろす撥の強靱さはどうだ。途方もないスケールで表現する情感のダイナミックレンジに打ちのめされた。
しかし、2日前に聴いたチック・コリアのコンサートと同じように演奏者と聴衆がひとつになる空気が、ここでは何百年も続いていたのか・・・。(PENTAX*istD SIGMA 18-50mm/f3.5-5.6DC)
2004/07/03




109 チック・コリア 暴風雨のあとの・・

1972年初夏、合歓の郷の野外音楽堂。雨が続くなか時計は深夜の12時をまわっていた。山下洋輔のビッグバンドあたりから、横殴りの雨は激しさを増し演奏にも支障がでるほどで、ステージは何時間も中断されたままだった。交通手段がないからあたりまえだけど、帰る人間は一人もいない。
予定のステージはチック・コリアのソロパフォーマンス。期待は時間とともに増大し、芯まで濡れた体が気にならなくなったころ、雨はあがり深夜の空に星が瞬きはじめ、そして演奏は始まった。周辺のカエルの鳴き声とともに聴いたNoon SongやSometime Ago。妙に懐かしく、でも新鮮で極彩色のクリアネスが陶酔へ誘う。ジャズの新しいかたちが星空から舞い降りて来たかのようだ。ちなみに「リターン・トゥー・フォーエバー」が大ブレイクしたのは、この年の秋だった。(PENTAX*istD SIGMA 18-50mm/f3.5-5.6DC)
2004/07/02






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