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photo and Text: machinist

013 機械変換系の対称性ということ
ターンテーブルの回転力がスタイラスを揺らす。連動するコイルやマグネットが発電することで、ディスクの溝から音楽信号をとりだしている。何段階かの電気的増幅を経て、スピーカーマグネットの磁界に置かれたコイルが動き、コーンが空気を揺らし音を再生させる。ターンテーブルの回転もスピーカーの磁界も、直流バイアスのエネルギー源、などと考えつつ、再生システムはアンプを中心に置いた機械変換の対称で成立していることに気づいた。
デジタルオーディオは・・・再生の枠をこえて収音から再生にいたる大きな系、すなわち伝送・増幅系の両端に機械変換であるマイクロフォンとスピーカーを置いた、きわめてシンプルな対称系。だからとても音が良い・・・といわれる日は近いのだろうか。
(PENTAX*istD smcA 50mm F1.4)
2004/03/17



012 ダイナミックレンジ
大好きな写真家、横木安良夫さんのサイトDIGITAL DAY BY DAY、2003年9月2日の日記より・・・
「・・・画素数が多ければいいみたいな風潮もある。いらないんだよ。写真にそんなに多くの情報量なんて。写真は、無限の情報量のある僕らの生きている世界から、殆どの情報を捨てることによって何か真実を発見する作業だから。」
(PENTAX*istD FA ZOOM 28-105mm F4.0-5.6IF)
2004/03/16



011 限りなく透明に近い・・・
「透明感」という言葉はどうなんだろう。音像の表面の不透明な膜が本体のクリアネスを損ねている、というなら分かる。でも「透明な音」っていう表現は、音像の向こうに別の音像が透けて見えるような状態を想像してしまうのです。これはかなりアンナチュラルな世界。個人的には音量を絞り込んでいって限りなく無音に近い状態に「透明」を感じるのだけど、ヘンかなあ。
ついでに言うと「くちびるの大きさ」とか「滲みのない音」あるいは「ピンポイントの定位」なんていう表現にも、違和感を感じるわけです。なぜかといえば、人間の声はくちびるが出すわけではないし。音には滲みがあるし、音像には幅があるから・・・。
(photo by scylla, model: cha-)
2004/03/16



010 唄のないフラメンコなんて・・・
唄のない「津軽じょんがら節」はまったく面白くないけれど、ギター演奏だけの「フラメンコ」にもあまり興味がない。
カルメン・リナーレスはカンテ・フラメンコの伝統を受け継ぎながら、現代のまさに生きた音楽を具現するアーティストであると思う。その声は鋭利でありながらグラマラスな熱気を伴っている。このアルバム「La Iuna en el rio」は、曲によってフルートやチェロも動員した多彩な音づくりなのに、これらの作為が音楽の内側の血の濃さを一向に減らさないことに驚く。両翼に位置するギタリスト、Paco CortesとPedro Sierraも強靭でハイスピード、ときに天を舞うような軽やかさ。 AAD表記のアナログ録音で、どこまでも伸びる強大なDレンジと漆黒のSN感に驚愕。
写真右下のジャケット「シャンソン/フラメンカ」これもカンテ・フラメンコ。一流どころ12組がフランスの名曲にチャレンジしている。たとえば「ラ・ボエーム」まぎれないスペインの色、ディープではあってもけしてゲテモノなんかじゃない。世の中には凄い音楽がキラ星のように存在し、でも聴く幸運に巡り会うのは、ほんのわずかということを実感しながら聴き入った。
(PENTAX*istD smcA 50mm F1.4)
2004/03/15






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↑フルカラー(RGB各8bit)の精密グレースケールの両端を表示しています。すべてを正確に画き分けるモニターは存在しないと思います。
しかしながら「14」や「242」が識別できない場合はモニターレベルで顕著な黒潰れや白飛びが発生しています。ガンマユーティリティなどを使ってモニター調整することをお奨めします。
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